PRESIDENT'S BLOG夢への扉
2025.10.20
その154 磐田駅でのハイタッチ編
磐田を元気に!
毎週水曜の朝7時半頃、磐田駅北口自由通路で「ハイタッチ運動」に参加しています。これは、駅を通る人に磐田市の「しっぺい」の手袋でハイタッチと「おはよう」のあいさつをする活動です。2015年に有志で始まり、「いわたを元気にする会」の活動として続いています。私もSMHDが磐田にオフィスを構えた2024年4月から参加を始めました。参加者は発案者の横井さんや草地市長に加え、地域の方々、そしてソミックからは私や有志のメンバーらがそれぞれの想いを持って参加していますが、共通の目的は一つ、磐田を元気にすることです。

通りかかるのは通勤通学の方々で、とくに高校生の姿が多く見られます。手を差し出してくれる人は全体の1~2割ほどですが、笑顔で元気に応じてくれる女子高生や運動部の男子、障がいがある高校生もハイタッチしてくれます。もちろんソミックの社員もいます。一方で、無反応の人や目を合わせない人もいます。私はそうした多様な反応に触れるたび、人の心と行動の関係について思い起こすことがあります。

心と理 ―― 稲盛氏の示唆
私の大好きな本に、京セラ創業者 稲盛和夫氏の「生き方」という本がありますが、そこに人の心について書かれている章があります。心はその中心から「真我」「魂」「本能」「感性」「知性」の五層でできている。「真我」は心の中心であり、全ての人が持つ「真善美※」の心。「魂」はいわゆる人の心、そして「本能」とは人が生きるために必要な欲求、その周りに美しさや醜さを感じる「感性」があります。そして中心から最も離れた部分が「知性」であり、人の知識や論理がこれにあたります。
生まれながらに持つ「真我」「魂」「本能」に対し、「感性」「知性」は育つ過程で身につくものです。生まれて間もない赤ん坊は、楽しいことや嬉しいことがあった時、とてもきれいな目で無邪気に笑います。しかし社会経験を重ねることで「理」すなわち知性や合理性が強くなると、純粋な「心」が覆われていきます。「心」がなければ人ではない。しかし「心」だけでは社会は成り立たない。ハイタッチという場で見えるのは、まさにこの「心」と「理」のバランスの表れです。
生まれながらに持つ「真我」「魂」「本能」に対し、「感性」「知性」は育つ過程で身につくものです。生まれて間もない赤ん坊は、楽しいことや嬉しいことがあった時、とてもきれいな目で無邪気に笑います。しかし社会経験を重ねることで「理」すなわち知性や合理性が強くなると、純粋な「心」が覆われていきます。「心」がなければ人ではない。しかし「心」だけでは社会は成り立たない。ハイタッチという場で見えるのは、まさにこの「心」と「理」のバランスの表れです。
※真善美…人間の目指すべき理性的・倫理的・感性的な価値観
「心」と「理」をどう捉えるか
ここで強調したいのは、「心」を出すことが良いという単純な話ではないという点です。大切なのは、中心にある「心」を忘れないことです。「心」は、人としての道徳や判断の基盤であり、人やチームを動かす原動力になります。仕事におけるやりがいも、「心」と「理」の両面から感じられます。カイゼンの結果に満足を得るのは「理」の側面と思われるかもしれませんが、過程で関わる人に感謝されることで得られるやりがいは「心」の側面です。両者があって初めて持続的なやりがいになると私は考えます。
ハイタッチから垣間見る人の心
ハイタッチをしていると、なにか人の心が見えてくるような気がします。笑顔でハイタッチする人、会釈する人、無反応の人、それぞれがその時の事情や思いを抱えているのだと感じます。経験を積み、知性や合理性を身に付けることで、間違いなく人として成長していくわけですから、各々の反応に対して、ものを申すつもりはありません。しかし、ともすると本来の純粋な心を隠し続け、人としての大切なものを忘れてしまうのではないかと思います。社会のルールや倫理観を身に付けて生きることと同時に、魂や真我という心を忘れてはいけないのだと思います。

だれかが「おはよう!」と声をかけてくれたら、「おはよう!」と元気に応えられる皆さんであってほしいと思います。私自身も、相手が笑顔で応えてくれるような「おはよう」を投げかけられる人でありたい。地域とともに歩む企業として、まずは身近なあいさつから始めています。